揺れてもいい、と自分に許す

やわらかな安心感

高校の同窓会に行きました。
数十年ぶりってことに、正直 身構えていたけれど、
(というより、顔と名前が一致するかが一番の不安)

徐々によみがえるあの頃のこと。
よく笑って、よく食べて。
笑いころげる度にスカートのホックが、ブチっと弾けましたっけ。

友人や恩師との再会は
なつかしく、やわらかな安心感がありました。

 

ひとつ気づいたのは、
"あの頃は大らかに守られていたんだ"と。

謎の勢いを持て余しつつも、
両親や先生に見守られ、
未完成で不安定なまま、思う存分揺れていられた、

という事に。

 

はてさて今は?

はてさて、今は?

「私はこんな人」という、いつの間にかできてたイメージに、
おさまりにいこうとしてないかな?

「大人としてしっかりしなきゃ!」なんて、
思考を固めていないかな?

毎日それなりに楽しんでいるけど、
”こじんまり”まとまってる感も、あるにはあるぞ。

 

揺れてもいいよ

もしも、10代の感覚を
(謎の勢いは置いといて)
今にちょっぴり取り入れたなら、どうなるだろうか?

たとえば


「揺れてもいいよ、と自分に許す」

「理屈抜きでやりたい!の感覚を優先する」

「"答え”が見つからないもの、抱え続ける忍耐」も…。



書いてみるとなんだか、
体に向き合う時との共通点が見えてきましたよ。

「自然な体」と書いて、「自然体」。
内側からわき出るものを大切に、できる限り 「自然体」でありたいものです。

 


いろんなことを”キュンッ”と思い出したひと時でした。